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2005.03.21

電車に乗るときは

 一昨日の話。
 急な用事ができて最寄の駅の近くまで自転車で出かけたのですが、そこでは用が足せずに、電車で15分先の駅まで行かなくてはならなくなりました。ところが、電車の中で読む本を持っていません。たった15分でも本を持たずに電車に乗るのは耐えがたいので、近くの本屋に直行。こういうときは、つい慌ててつまらない本を買ってしまいがちなので、慎重に選びます。でも、ゆっくり選んでいる時間がない。小さな店の中を3周くらい回って、最後に「えいっ!」と覚悟を決めて(それほど大げさな話じゃないけど)選んだのが、岩波新書の『読書力』(齋藤孝著)。今回の選択は、大正解でした。

私は、自分自身の自己形成が読書に大きく負っているということを認識している。自分が考えるときに、読書によって培われた思考力が生かされているのを感じる。対話をするときにも、読書経験が大きくプラスに働いていると日々感じている。読書を通じて得た様々な力を日々活用しているので、「読書はしなくても構わない」などと若い人に向かって言うことはできない。

 これは、この本のベースになっている部分です。
 我が息子や娘を見ていると、読書量があまりにも少ないようで、こんな事で彼らは立派に知性や感性を磨く事ができるのだろうかと心配になってきます。しかし一方で、僕は本が好きでいろいろ読んできたけど、それがどれほど今の自分を形作るのに役立ってきたのだろうか、読書経験は実際の体験ほどは人間の中に蓄積されていかないのではないだろうか、子どもに本を読め読めとすすめることは本当に正しいことなのだろうか、という疑問もよぎります。
 ところが、齋藤孝は力強く断言します。

日本ではいつのまにか、本は、「当然読むべき」ものから「別に読まなくてもいい」ものへと変化してしまった。
 これも時代の変化だ、とおだやかに受け入れてしまう人もいるのかもしれないが、私はまったく反対だ。読書はしてもしなくてもいいものではなく、ぜひとも習慣化すべき「技」だと頑固に考えている。(中略)
 自分の生きている社会の存立基盤を考えると、読書を核とした向学心や好奇心が実に重要なものだと思えてくるのである。

体験すること自体が重要なのではなく、その体験の意味をしっかりと自分自身でつかまえ、その経験を次に生かしていくことが重要なのだ。体験の意味を深め、経験としていく。その積み重ねに、本は役立つ。

 「今の若い世代は本を読まなくても、テレビやゲームからだって、ちゃんと自分の生きる糧を得ているんだ」というものわかりのよさが、今の若者やこれからの世の中をダメにしてしまうのかもしれません。本当は子どもに対して「テレビばっかり見てないで、本を読め!」と力強く言いたいのに、ためらいがちに「テレビもいいけど、本も読んだ方がいいんじゃないの?」という言い方になってしまう大人(僕のことだけど)を、この本は勇気付けてくれます。
 『読書力』は、「同感!」と線を引きたくなるところがたくさんあるので、またここで取り上げたいと思います。
 

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著者: 齋藤 孝タイトル: 読書力  本書は既に読んでしまった方が多いかも知れない。しかし自分でも意外に感じたのだが、私が齋藤孝氏の書籍を読むのは、これが初めてである。  熟読したうえで、感想を書きたいと思っていたが、本書を読み始めて間もなく、不快な気分におそわれた。  それは本書の内容が悪いからではない。本書で紹介されている現在の大学生の実態が原因である。... [続きを読む]

受信: 2005.04.20 15:51

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