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2005年5月

2005.05.24

3年目の開花

 「マイフォト」の中で、今年も咲きそうもないと書いて、葉っぱの写真だけ載せておいたヤマボウシが、なんと一輪だけ咲いているのを見つけました。植えてから3年目にして初めての開花です。たった一輪というのがかえって神の計らいみたいで、感激です。yamaboushi

 さて、僕の持っている俳句歳時記で「ヤマボウシ」を探してみると…

 角川文庫『新版俳句歳時記』…記載なし
 同『現代俳句歳時記』…記載なし
 新潮文庫『新改訂版俳諧歳時記』…記載なし
 河出文庫『新歳時記』…記載なし
 角川書店『ハンディ版入門歳時記』…記載なし

 どうも一般的な小さな歳時記では季語として取り上げていないようですが、植物だけを載せている保育社カラーブックスの『俳句歳時記・植物〈夏〉』には「山法師の花・四照花の花」の見出しで次の句が出ていました。

  四照花流るる霧に且つさだか   和田 暖泡
  山ぼうし谺がこだま生みにけり   和田 冬生

 また、教養文庫『山の俳句歳時記』にはなぜか春の季語として、次の三句が例句として挙げてあります。

  雨あとの月まぶしめり山法師   高木 静子
  山法師雲に失せ切るまでは見ず   村尾 香苗
  僧老いて学寮住ひ山法師   島 世衣子
 

 僕もこの感動を何とか句にしたいと思ってはいるのですが…

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2005.05.19

本好きにさせない十か条

 樋口裕一という名前を最近やたらと目にするので、僕も何か読んでみようかなと思っていたら、自分の本棚に『日本語力崩壊―でもこうすればくい止められる』(樋口裕一著、中公新書ラクレ)という本があるのをたまたま見つけました。
 なんだ、読んでいたんだ。(読書ノートで確認したら、2001年11月に読んでいました。忘れちゃうもんですね。)
 しかも、中を見ると、あっちこっちにも引いてある…

小論文と作文の違いは何か。
 実は、子どもたちには、それがまずわからない。何かを「論じる」のが小論文、そうでないのが、作文だ、という従来の説明では納得できない。
 だが、もっとわかりやすい説明の仕方がある。論じるというのは、ある問題に対してイエスかノーかを答えることなのだから、一言で言えば、「小論文」というのはイエス・ノーを答えるもので、作文はそうではない、ということになる。

 また、「国語力」の基本は「知識」であり、その知識を増やすためにはたくさん本を読むことだと言い、子どもを本好きにするために「してはいけない十か条」を挙げています。

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2005.05.14

タメ口の使い方

 今朝の朝日新聞土曜版によると、新書ブームを支えているのは中高年のおじさんだということだけれど、僕も本屋に入るとまず新書の棚へ、というのが最近のパターンです。見るたびに新しいのが出ていますからね。
 最近創刊した「ちくまプリマー新書」というのは若い人がターゲットのようだけど、発売予定も含めたラインナップを見ると…うーん、僕が読みたくなるような著者名・題名がずらっと並んでいるなあ。

 山本容子 『絵を描いてみよう』 
 藤森照信 『ヒトはこうして家をつくってきた』
 赤瀬川原平 『見ることを楽しもう!』
 南伸坊 『眼で考える』
 養老孟司 『考えるってどういうこと?』
 高橋源一郎 『教科書にのらない小説』

僕が特に興味をそそられたのはこんなところです。
で、今日はこの「ちくまプリマー新書」の第一弾として出た橋本治『ちゃんと話すための敬語の本』についてです。

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2005.05.07

「haiku」は「俳句」?

 勤め帰りにときどき寄る古本屋で、「俳句からhaikuへ」という帯のついた本(『明治大学公開文化講座ⅩⅤ 越境する感性』風間書房)を見つけました。四本の講演記録を収めた本で、その中の一つに興味があったので、100円を投資しました。

 俳句は「haiku」として広く海外でも愛好されていると言われますが、マーク・ピーターセンは、いくつかの例をあげながら英詩の中に「俳句的感性」を示す作品があることを認めつつも、次のように語っています。

基本的には、日本語の俳句の魅力は日本語を母国語とする人間にしか十分に鑑賞できないと思います。それに、私の見方では、haikuは、日本語の俳句のこころや様式とはずいぶん違います。(「外から見た日本的感性―俳句からhaikuへ―」)

 英訳されたhaikuを読んでも、外国人のhaikuを読んでも、これは「俳句」とは違うなあと感じていましたが、日本語(日本文化)にも英語(英米文化)にも通じている人でないと、「ずいぶん違う」とまでは言い切れないでしょう。外国人の俳句受容について書いた本に『海を越えた俳句』(佐藤和夫著)というのがあり、10年以上も前ですが面白く読んだ記憶があります。その中に次のような一節があって、ちょっと気になっています。

外国人のハイクの世界は、今日なお、江戸時代の俳諧によって形成されている。彼らが翻訳によって読む俳句のほとんどは、依然として芭蕉、蕪村、一茶など江戸期の俳人、そしてせいぜい子規の作品である。いわば彼らはタイム・カプセルのなかに住んでいる。

マーク・ピーターセンも次のように言っています。

日本の俳句を紹介するパターンとして、まずはTHE FOUR GREAT MASTERSを基本として紹介します。この四人の大俳人は、芭蕉、蕪村、一茶、子規です。

かつて外国人が日本に対して「サムライ」とか「ゲイシャ」というイメージを持っていた(今でも持っている?)のと似たようなことが、haikuに関しても起きているのでしょうか。芭蕉や子規が絶対に作らなかった、たとえば

冷房に海の匂ひのまま眠る         仙田洋子

のような句(最近見つけた、僕の大好きな句です)は、どのように外国語に翻訳され、どのように読まれるのか、とても興味があるところです。

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2005.05.01

ブログで出力トレーニング

 『能力を高める 受験勉強の技術』(和田秀樹著)を面白く読みました。

 受験勉強を悪く言う人が多いけれど、人にとって必要な能力を身につけるいいチャンスとして積極的に評価しようよという筆者の意見に、僕も賛成です。「関心・意欲・態度」を加味して評価するという新しい学習指導要領が、相対的にテストで点を取ることに対する価値を下げたのではないかという問題提起も、なかなかするどい点をついているのではないでしょうか。学力低下を食い止めようという筆者の真剣な思いが伝わってくる本です。

 覚えることの苦手な僕としては、記憶のための三段階(入力、貯蔵、出力)のうちの三つ目の重要性を説いた次の箇所が印象に残りました。

私は日本人の大人になってからの勉強について、この出力トレーニングが足りないことが問題だと考えている。知識をひけらかすことが恥かしいことだという文化のためかもしれないが、書斎の人や読書家といわれる人は多くても、それを有効にアウトプットしている人は少ない。ホームページやブログなど発信のチャンスは増えているのだから、それをしないのはいかにももったいない。

ブログに「出力」することで、読書によって「入力」された内容が記憶として自分の中に定着していくというわけですね。最近はブログのために寝不足になって翌日が辛いこともあるけど、これからも頑張ろうかなって気になりました。

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