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2005年6月

2005.06.28

優しさってなんだろう

 …というわけで、大いに期待して読んだ芥川「秋」でしたが…
 ひとことで言えば、古風な恋愛小説。現代人に訴えかけてくる力は弱いんじゃないかな。
 でも、南木佳士が「最高」という理由はわかるような気がします。僕が読んだ新潮文庫の「解説」で中村真一郎がこの「秋」に触れて

人間性そのもの、あるいは世界の在り方そのものの持つ、本来的な不条理さを見抜いており、それを大事に慎重にすくいとって、作品の中にそっと生けどりにしている(下線部は原文では傍点)

と書いているのは、南木佳士の小説にもそのまま当てはまるように思うのです。

 今、鞄に入れて通勤の電車で読んでいる本は、南木佳士『医者という仕事』(朝日文庫)。最初の数編を読んだだけでもやたらと目につくのが「優しさ」という言葉。

三十代半ばから四十歳代の働き盛りの医者仲間たちと雑談し、話題が大学受験の頃のことに及ぶと必ず出てくる結論がある。
 今、おれたちがやっている仕事の内容から考えて、あれほど難しい入学試験は必要なかった。そして、入試のときに最も問われるべき資質は、学力ではなく優しさであった、と。

 人間の優しさってなんだろう。本当の優しさは、人間の「本来的な不条理さ」を見抜いた者のみが持てるのではないだろうか。いや、それとも…

 夜になっても熱帯のような暑さの続く道を、自問しながら家に向かったのでした。

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2005.06.21

南木佳士名言集

随筆集『ふいに吹く風』より

反省のないものに潰瘍はない。(「記憶の回路」)

酒を飲むためには元気でなければならない。(「酒を飲む元気」)

人間生活の裏がみえすぎるために、どこかにやさしさを求めずにはおれない寂しい皮肉屋。これが表現者の実像である。(「表現者」)

不自由の足かせのない自由は本物ではない。(「一所懸命」)

 ところで、南木佳士は『ふいに吹く風』の中で何度も芥川龍之介の小説『秋』について言及しています。

高校時代には文庫で手に入るかぎりの芥川龍之介の作品を買い集めた。そして彼の最高傑作は『羅生門』でも『河童』でもなく、とても地味な『秋』という小品であると勝手に決めたりしていた。(「精神のペースメーカー」)

芥川の作品が好きで、高校までにはほとんど全作品を読んでしまった記憶がある。今でも秋になると、彼の最高傑作と思っている『秋』をゆっくり読み返してみたりする。(「淘汰される本」)

…こんなこと言われたら、今すぐにでも『秋』という小説を読んでみたくなるではないですか。
 秋まで、待てません。

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2005.06.13

されど、芥川賞…

 昨日の「朝日」朝刊の一面の見出しは「文学賞異変」。文学賞の創設ラッシュを報じているけれど、トップを飾るほどの事件なのかな?
 僕の場合、受賞作に飛びつくということはほとんどなくて、『夜のピクニック』という小説がラジオ番組の中で紹介されているのを聞いたときは絶対読みたい本だなと思っていたのに、その後「本屋大賞」というのを取ってやたらと話題になってくると、こうなったらそのうち文庫になって古本屋にも並ぶようになるだろうから、その時になってから読めばいいやと思っているくらいです。

 で、今読んでいるのは、芥川賞作家、南木佳士の随筆集『ふいに吹く風』
 前回取り上げた小説『海へ』の中に、筆者自身の分身と思われる語り手が、高校時代の現代国語の老教師がつぶやいた「比喩は危険だから、用いる時は一日じっくり寝かして納得できたら話すか書くかしなさい」という教えをものを書くときの戒めとしてきた、と語る一節があります。南木佳士の文章の魅力の一つが、卓抜な比喩にあることは間違いありません。

事実とは畑で抜き取ったばかりのゴボウとおなじで、見てくれもよくないし、アクが強くて食えたものではない。ゴボウを洗い、アクを抜き、きれいに削って油でいためるからこそ食ってうまいキンピラゴボウになる。ある程度の辛味も必要だから唐辛子を入れる。事実も、それに適度の創作を加えることによって、世間の常識の裏に隠されていた真実が現れてくる。人間が存在することの不確かさにまで触れる真実は万人の共感を呼ぶ。(「酒について」)

これは、酒の席で人を面白がらせる話のことを言っているのですが、小説執筆の奥義に触れているようにも読めます。

先日、二十二年ぶりに高校一年時の同級会が開かれた。…同級会に集まった仲間の顔を見ていると、二十二年前、舞台裏の楽屋で下着姿を見せ合っていた者たちが、それぞれの役にあった衣装を着けて舞台に立っているような気がしてならなかった。男たちの中には、早くも自分の役に飽きている顔があった。(「紫陽花の咲く頃」)

 芥川賞候補になりながら結局落選した時の経験を、すごい美女に誘われながら結局はふられてしまう男に喩えた「芥川賞の待ち方」は、愉快な文章です。

指定されたロビーで待つこと数時間、女はあらわれない。…あんな美しい女と酒が飲めるなんて、本気で想い込んだおまえがバカなんだよ―男はゆがんだ笑顔を星のない夜空に向ける。芥川賞に落選したときの気分はこのとおりである。

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2005.06.01

女子高生が線を引いて読んだところ

 …男は防波堤の突端で、高校をさぼってイワシを釣っている、友人の娘の千絵ちゃんを見つける。「ねえ、おじさん、こんなところよりもずっといい場所がありますよ。」と誘われるままに、男は海に臨む洞窟に入り込む。

>中年男 草餅、食うよ。たっぷりと歩いたんで、腹減っちゃったよ。
 女子高生 わたし、火をおこしますからね。それと、はい、飲み物。缶のお茶ですけど。
 中年男 なに、そのバッグ、いろんなものが入ってるんだね。
 女子高生 今朝は家を出るときから学校へは行かないって決めていましたから、いろんなものを入れてきました。百円ライター、カットバン、スポーツドリンク、食パン……、あっ、一応教科書もありますよ、現代文の。
 中年男 どれ、現代文てのを見せてくれる。息子たちの教科書なんて見たことなかったし、おじさんたちのころは現代国語っていってたよな。
 女子高生 はい、どうぞ。
 中年男 なるほどなあ、黒崎政男のエッセイ、和辻哲郎の評論、金子光晴の詩、村上春樹の小説まであるんだなあ。……この最後の方にあるホーソンの「大望の客」のページはすごいね。ピンクのマーカーがびっしり塗られてるね。
 女子高生 その短篇、とても好きなんです。わたし、春休みに新しい教科書を買ったとき、現代文だけはすぐに全部読んでしまうんです。それで、この教科書のなかではそのホーソンの「大望の客」がいちばんいいなって思ったんですけど、…
 

 興味をそそられた中年男性のために、書名をお教えしましょう。
 『海へ』南木佳士著。文春文庫から出ています。最近現代文の教科書で「ウサギ」という短篇を読んで、南木佳士という作家に興味を持つようになりました。現代文の教科書にピンクのマーカーでびっしり線を引く女子高生にも興味があるけど…

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