« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »

2005年9月

2005.09.20

さらに「わかる」ために

 『わかったつもり―読解力がつかない本当の原因』(西林克彦著、光文社新書)という本のタイトルと「わからない」ことよりも、「わかったつもり」でいることの方がはるかに問題だ!」という帯の文句が僕の眼に飛び込んできたのは、ちょうど『「わからない」という方法』(橋本治)を読んだばかりの僕の中で、「わからない」に対して敏感に反応する準備ができていたからでしょう。

「わかった」状態は、ひとつの安定状態です。ある意味、「わからない部分が見つからない」という状態だといってもいいかも知れません。したがって、「わかった」から「よりわかった」へ到る作業の必要性を感じない状態でもあるのです。浅いわかり方から抜け出すことが困難なのは、その状態が「わからない」からではなくて、「わかった」状態だからなのです。…
 「わかったつもり」の状態も、ひとつの「わかった」状態ですから、「わからない部分が見つからない」という意味で安定しているのです。わからない場合には、すぐその先の探索にかかるのでしょうが、「わからない部分がみつからない」ので、そうしようとしとしないことがほとんどです。
 「読む」という行為の障害は、「わからない」ことだと一般には考えられています。このことは、「わからない」から「わかる」に達する過程では、そのとおりです。
 しかし、「わかる」から「よりわかる」に到る過程における「読む」という行為の主たる障害は、「わかったつもり」なのです。「わかったつもり」が、そこから先の探索活動を妨害するからです。

  著者は授業実践に裏付けられた適切な例を挙げながら、実にわかりやすく論を展開しています。読者はこの本を読みながら、文章が「わかる」とはどういうことか、さらに読みを深めるにはどうしたらよいかについて、知的興奮さえ覚えながら著者と共に考えていくことになるに違いありません。

 著者はこの本について、「読むという行為の一つの側面にスポットを当てたに過ぎません」と言っていますが、僕にはこの本が明らかにしたことは実に重要なことだと思われます。
 それから最後の章で、大学入試センター試験の問題を例に挙げて国語教育に対する提案をしている部分は、関係者はぜひ読むべきだと思いますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.15

桜木先生!

  橋本治『「わからない」という方法』(集英社新書)を読み終えました。
  ちょうど並行して読んでいた『ドラゴン桜』と言っている内容が重なることが多くて(微妙に食い違っている部分もあるけど)、何度も桜木弁護士の顔を思い浮かべてしまったのでした。

  僕がこの本から得た一番の収穫は、「わからない」の発見が「わかる」への第一歩であるという、考えてみればあたりまえのことに気づかされたことです。

「わからない」をスタート地点とすれば、「わかった」はゴールである。スタート地点とゴールを結ぶと、「道筋」が見える。「わかる」とは、実のところ、「わからない」と「わかった」の間を結ぶ道筋を、地図に書くことなのである。「わかる」ばかりを性急に求める人は、地図を見ない人である。常にガイドを求めて、「ゴールまで連れて行け」と命令する人である。その人の目的は、ただゴールにたどり着くことだけだから、いくらゴールにたどり着いても、途中の道筋がまったくわからない―だから、人に地図を書いて、自分の道筋を教えることができない。「わかった」の数ばかり集めて、しかしその実「なんにもわからない」のままでいるのは、このような人である。

  そして橋本治は「途中の道筋」においては「体を使え=身体に覚えさせろ」ということを強調するのです。
 ところで僕はこの部分を書き写しながらも、桜木弁護士が水野と矢島の二人に1年の数学の授業をさせる場面を思い出してしまうのです。水野も矢島も「途中の道筋」がわかっているから下級生に教えることができるわけですね。
  なんだかすっかり『ドラゴン桜』にハマッてしまったなあ。
  第10巻、いつ出るんだろう…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.07

芥山先生!

  珍しくマンガを読んでいます。
  『ドラゴン桜』(三田紀房著)、なるほど、面白いですね。

  国語の芥山先生、左手を顎に当てたポーズがいかにも文学者っぽく見えます。僕も真似してみようかな。
  ところで、その芥山先生が国語の教材に興味を持たせるために用意した「文豪の名著20作品」って、何なんだろう?  そこには「愛情 正義 善意 良心といったものの反対のもの」「怒り 憎しみ 裏切り コンプレックス エゴイズム…」が書かれているというのだけれど。龍山高校の生徒矢島が「こんなこと今までにねえよ!」「こりゃスゲエ…」と言いながら夢中で読み始める「名著」とは?
  たとえば、芥山、じゃなくて芥川龍之介の『羅生門』には人間の「悪」「エゴイズム」が描かれていると言われ、高校生には確かに人気があるけれど、そういう作品に対する生徒の興味を、論理的文章を読む意欲へとつなげていくのが難しいんだよなあ。
  芥山先生、その辺のこと、どうしたらいいのか教えてくれませんか!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »