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2005.11.05

なぎさへの誘い

 友人から、次のような演奏会を企画したと案内が届きました。

「つくろう、つなごう、日本の歌」
波多野睦美メゾ・ソプラノ・リサイタル
(逗子文化プラザホールオープニングイヤー記念事業)

http://zushi-plaza.34-net.com/

平成17年11月26日(土) 15:00開演
逗子文化プラザ なぎさホール

曲目…よく知られた日本の歌(「からたちの花」など)のほか、三つの委嘱作品

 委嘱作品のうち二つは逗子在住の詩人・高橋睦郎による作詞だそうで、興味をそそられます。
 久しぶりに高橋睦郎『私自身のための俳句入門』を開いて、線の引いてあるあたりを拾い読みしてみました。

私たちは四季の変化に富む風土に住み、他のどんな民族よりも季感に敏いと思いがちである。そこまではまだよいとしても、原始古代から伝統的に季感に敏であったと考えかねないが、これは明らかに誤っている。四季の変化に富むとは、これを言い換えれば四季の変化の推移が緩やかだということであり、この緩やかさはそこに住む者の季感を敏にするよりも、むしろ鈍にする。
 ほんらい季感に敏になるのは、もっと季節の変化の激しい風土に住む民族、具体的には大陸性気候の中に住む民族ではあるまいか。私たちの季感は彼らが海を越えて持ち来たり、教えてくれたものではないだろうか。

 さらに著者は別のところでも「春夏秋冬」という概念は外来のものであったことを繰り返し、次のように続けます。

季節感をいやが上にも敏感にしたのが、大陸から齎された季節の制度とわが国の季節の実際とのずれである。じっさいにはきびしい寒さの中にあるのに制度は春の訪れを感得せよとせきたてる。

 そしてこのずれが生じさせる「不自然」な季節感が短歌、さらには連歌の行き詰まりへとつながり、俳諧への流れを作っていくという論の展開は、なかなかスリリングです。
 また、今年の『俳句』6月号には高橋睦郎による「特別作品50句」が載っています。この人の句には広大な古典文学の世界を下敷きにしたものが多く、該博な作者の前で僕などはただひれ伏すしかないのですが、中にはこんな平明な句もあります。

花火果て闇の豪奢や人の上
 月光の透明の棒ひしめける

 さて高橋睦郎による歌曲を聴きに逗子まで行ってみようかどうしようか、迷っているところです。

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