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2005.11.18

凄い庭を作る。

 丸山健二が安曇野で庭造りをしていることは、図書館で見かけた写真集で知っていましたが、『安曇野の白い庭』(新潮文庫)を読んでみて、その情熱の傾け方の尋常でないことに驚きました。
 350坪の庭のすべての作業を自分でやってしまうと言うのもすごいことですが、納得のできる「美」の実現のためには、一度植えて育った木でも容赦なく切り倒してしまうという思い切りのよさも、並みの人間の出来る業ではありません。

美の追求とは残酷なものだ。加えるだけではなく、ときには引くこともしなければならない。無用と思った場合には、それ自体かなり貴重なパーツであったとしても、また、曰く因縁のあるものであったとしても、切り捨てなければならない。
 美で重要なことは、あくまでトータルバランスである。全体の流れやトーンを乱す物であることが判明したときには英断を下さなくてはならない。
 従って、子どもの頃からの思い出がいっぱい染みこんだ品々をどうしても棄てられない者は芸術家には適さない。手に入れた物に対する執着心が強い人間もまた然りだ。ところが、なぜかそういうタイプの人間が芸術に関わりたがる。
 女と、女に近い男は、どうもそれが苦手らしい。新しい物をどんどん欲しがるくせに、古いものをいつまでも棄てないで取っておきたがる。それにひしとしがみついて生きようとする。結果として、ごてごてとした、雑然とした、美とは正反対の方向へ際限なく進んでいってしまう。そして、その乱雑さのなかに埋没し、窒息して、本物の美からどんどん遠ざかってゆく。

 捨てることの苦手な僕にとっては、耳の痛い忠告です。捨てられないもののために、何と窮屈な思いをしていることか。理想の実現のためには、切り捨てることを躊躇していてはダメだというのは、もっとものことだと思います。
 それにしても、口絵写真の「白い庭」の魅力的なこと! 実に惚れ惚れとしてしまう美しさです。(庭の真ん中に建つ家もまた庭と調和したすばらしい外観です。)

 「庭の広さは一切関係ない。情熱とセンスさえあれば、僅か一坪にも満たない土地に壮大な幽玄の世界を構築することだってできる」という言葉を励みに、僕ももう少し頑張ってみるか!

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