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2005年12月

2005.12.26

親父が読みたい「子どもの本」

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『日経キッヅプラス』という雑誌の「子どもと読みたい100冊の本」という特集が興味を引いたので(それと付録の「全国方言かるた」というのが面白そうだったので)買ってみました。そして、紹介されている本の中からぜひ読んでみたいと思ったものを書き出していったら20冊になってしまいました。C.V.オールズバーグの『急行「北極号」』『西風号の遭難』、ポール・フライシュマンの『ウエズレーの国』など、表紙の絵を見ただけで引き込まれます。

絵本は漫画や小説のような表現ジャンルのひとつになり、「幼児向け」だから卒業するというものではなくなっている

というのは本当にその通りで、図書館へ行って面白そうな絵本を夢中で探すのは、娘よりも僕の方だったりして。
 『おとうさんがいっぱい』(三田村信行作、佐々木マキ絵)も、

「当たり前」と思っていたことが幻想かもしれない…という気にさせられるちょっと怖いストーリー集

なんて言われると、どうしても読みたくなってしまいます。
 年末は絵本をたくさん置いているペンションに泊まって、のんびり過ごすんだ!

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2005.12.21

樹木になる家

 パソコンのモニターを15インチから17インチに替えてみてわかったのですが、17インチで見るとこのブログの左右の余白が妙に広かったんですね。それでデザインを変更してみました。タイトル周りのオレンジ色も少し落ち着いた色調に微調整できるといいのですが…

 さて、今日は最近読んだ『新選高橋睦郎詩集』(新選現代詩文庫)から、印象に残った部分を抜き出してみます。

家といふものは、完全に地上的だ。柱の四肢によって大地に密接に結びついてゐる。大地の血管は土台石から柱の中に流れこみ、棟木や梁をつうじて、壁や屋根にひろがる。新しい家が年月とともに周囲の風景に馴染むのは、大地の血が家をかたちづくる木材、漆喰、瓦などの材料のくまぐまに行きわたり、家ぜんたいが大地から生えた、一種の樹木になるからだ。(詩集〈暦の王〉よりJuniusの一部)

 木と漆喰でできた家は、樹木として生長し、やがてまた大地に返るのでしょう。
 高橋睦郎は、ソネット形式、散文詩、短歌、俳句など、あらゆるスタイルを使いこなし、詩語としての日本語の可能性を示してくれています。面白いのは、俳句において有季定型という伝統的な型をきっちりと守りながらも、誰の亜流でもない独自の世界を現出させていることです。

山深く人語をかたる虻ありき

 葉となりし桜を愛づる荒びかな

 ふるさとは瑠璃の一閃つばくらめ

 みちをしへいくたび逢はば旅はてん(句集〈荒童鈔〉より)

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2005.12.12

美に挑む

 『夕庭』(文・作庭=丸山健二、撮影=萩原正美)は、見ごたえ、読みごたえのある写真集です。
 先日、丸山健二の『安曇野の白い庭』を読んで、前に図書館でチラッと見たこの写真集をもう一度じっくり読みたくなり、借りてきたのです。丸山健二の審美眼に適った植物だけが絶妙に配置された庭の写真は何度見ても見飽きない、うっとりするほど素晴らしいものですが、収録された文章がまたいいのです。

言葉という、あまりにも精神的に過ぎる、限りなく幻に近い、頼もしくもあり儚くもある、底なしに美しい道具を思う存分駆使して、もつれもつれ、千々に乱れた、奇々怪々たるこの世とわが心の葛藤に哲学的、思想的、芸術的な秩序をせっせと吹き込んでゆくこの珍しい労働は、真剣にやればやるほど、限界に挑めば挑むほど、人間しか到底成し得ない、人間だからこその所為としての面白さに満ち満ちてくる。

 一般大衆にへつらい、安きに流れることの決してない、張り詰めた精神が、庭の写真からも文章からも伝わって来ます。

抑制こそが気品を生み出す母親である。抑制だけが情念の噴火に直結する火道である。だが、抑制の効果を充分に発揮させようとするには、へたをすると浮いてしまうほどの強烈な素材を選択し、そうしたテーマに思わず食指が動いてしまうような熱い血が五体に流れている者でなければならない。かれらのような人間は、数千年にもわたって花の女王の地位に居座りつづけるバラを避けて通るような臆病な真似はしないだろう。危険なことを百も承知で、いや、危険の度合いが増せば増すほど、そっちへぐいぐい引き寄せられて行き、いつ果てるとも知れない果敢な戦いに身を投じるだろう。

 かつて(おそらく大学生の頃)読んだ芥川賞受賞作の『夏の流れ』がどんな作品だったか、今では全く思い出すことができません。その後丸山健二の小説は読んでいないけれど、これをきっかけに彼の最近の作品を読んでみたくなりました。そこにもこの『夕庭』が見せてくれるような、緊張感ある美の世界が広がっているのでしょうか?

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2005.12.03

ハイクリング日記

 神奈川県内では境川自転車専用道路は人気のある コースで、僕も時々走るのですが、今日はその西側を流れる引地川沿いのコースを初めて走って来ました。

hikijigawa4 小田急桜ヶ丘駅近くから川に沿って走り始め、どんどん南下すれば最後には湘南の海に出るのですが、今日はここ、引地川親水公園まで来て引き返すことにします。

hikijigawa1  買って13年目になる愛車です。あっちこっちが錆びたり磨耗したりで、もう限界に近いような状態です。

 親水公園にはお弁当を広げたり、ごろんとして本を読んだりするのにちょうどいい場所がたくさんあります。

hikijigawa3  デイパックの中は、 地図とコーヒーの入ったポット、それから『俳句』の12月号。今日は寝転がって本を読むにはちょっと寒いけど、ベンチの上で、しばし読書です。今月号は僕好みの句が多いような気がします。

ボーナスの出たような顔してをりぬ
 埋火となりて時間の余りをり        後藤立夫

秋逝くと目を細めては森濃くす
 吐く息のうすうすと枇杷咲きそむる
 思ふときその人来たり冬霞         岡本眸

牧の柵果ては花野に入りゐたり
 どんぐりを拾つてをれば胡桃落つ      橋本美代子

hikijigawa2 ところで、僕は今まで「引地川」は「ひきちがわ」だとばかり思っていたのですが、現地に来て知ったのは、本当は「ひきじがわ」だったということです。中には「ひきぢがわ」と書いた橋もありましたが、これは仮名遣いを間違えたのか、それとも僕のように「ひきち」だと思って作ってしまった後で間違いに気がついて、仕方がないから濁点を追加したのか、わかりません。

sakaigawa2  帰りは途中からいつもの境川に出て、我が家に向かいました。朝は雨が降ったり、霰が降ったり、変な天気でしたが、夕方にはすっかり綺麗な青空になっていました。
 境川の土手にはコスモスがまだ綺麗に咲き残っていて、思わず自転車を停めてレンズを向けてしまいます。『俳句』12月号には、こんな句も載っていました。

sakaiwaga1

こすもすのをはりは草になりにけり
                       
今井杏太郎

 今度自転車で遠出をするのは、来年の春かな…

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