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2006.02.18

三者三様

 『俳句』(角川書店)の「鼎談合評」は今年の1月号から新しいメンバーになって、俄然面白くなったように思います。同じ作家の作品群に対して三者三様の俳句観を正面からぶつけ合うところがスリリングです。
 2月号では、今井杏太郎の「水を見ていちにちが過ぎ秋が来る」「砂山にのぼれば秋の空が見ゆ」のような作品をめぐって、肯定派の藤原龍一郎千葉皓史に対する否定派の出口善子という図式を鮮明にしながら、丁々発止のやりとりがみられます。(ちなみに、僕自身は肯定派の方ですが。)

まづは藤原龍一郎…
僕はこの今井さんという人の文体にものすごく興味を持っています。この人の言葉は浮力がついているように軽いですね。…しかも妙な臭みがついていない。…作品の言葉が読者の心の中で重さを持たないという不思議な言葉のつながり。独特の文体です。

続いて千葉皓史…
緩やかに詠むんだけど決して緩んではいないので、句に浮力がある。…言葉そのものは重くれないように、できるだけ吟味して、語彙を少なくしていらっしゃると思います。だから、ページを開いても全体に透明感があります。

一方、出口善子は…
すんなり行き過ぎると印象に残りにくいというんですか。べつにそんな印象に残らなくてもいいですけれど、何か食い足りないというか、お茶漬けの味というか、そんな感じがしました。…たったこれだけのことを言うために時間をかけるのか…。私なら食い足りないなという感じがします。

すると千葉皓史は…
ま、好みだから、好きになれとか嫌いになれとかいうのは必要ないのであって、要は私にはこういう句は魅力的だということです。出口さんがおっしゃるような近代文学的なものが俳句に求められた時代がありました。そういう近代文学はもう終わってしまったかなという思いがどこかにあります。

という具合で、結構はらはらさせられるような展開になるのです。最後は

>出口「時代遅れであろうと、先端を行っていようと、どの時代に流行ったものであろうと、自分がこれと思った流儀を貫けばいいのではないかと思っています。
 千葉「いや、そのとおりだと思います。

と議論は収束したかに見えるのですが、その先で雨宮きぬよの句をめぐって再び

出口「〈秋水の濁りて今日を急ぎける〉はなかなか意味が深いと思います。
 藤原「意味はありますね。
 千葉「僕は逆に、そこに意味があるのがいやなんです。

というやりとりもあって、火種はまだくすぶっていたことがわかります。根本に俳句観の違いがあるわけですから、歩み寄れるはずもないわけで、来月号以降も今回のようなやりとりが続くのだろうと想像されます。楽しみです。(読者投句欄で入選すれば、僕の句が取り上げられるかも知れないというもうひとつの楽しみも加わるんだけれど…)
 ついでながら、2月号の特集「本当に名句なのか?―評価の分かれる有名句」も、有名句に対する賛否両論を並べた、面白い特集です。これもまた、俳句の読みの多様性を示してくれています。

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俳句は世界に広がっています。その様子を私の現代俳画のブログを通して紹介しております。
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投稿: 水夫(かこ)清 | 2008.04.26 15:20

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