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2006.02.15

危うきに遊ぶ

 『俳句』12月号に発表され、僕のお気に入りとしてここに挙げておいた句の中の多くが、今月号(2月号)の「合評鼎談」と「俳句月評」で取り上げられていたので、興味深く読みました。
 まず、後藤立夫の「ボーナスの出たような顔しておりぬ」について、「鼎談」では出口善子

〈ボーナスの〉は危ない、きわどいところだなあという感じはしたんです。こちらの発言も危ないんですけれど、例えば「うがち、軽み、おかしみ」という川柳の三大要素が一応は全部、押さえてある。それと直喩ですね、これ。〈出たような〉ですから。「名人は危うきに遊ぶ」と言いますが、賛否両論出るところではないでしょうか。

と、作品に対してやや懐疑的な発言。一方で「月評」の櫂未知子は

とぼけた味わいのある句。年末賞与、すなわち〈ボーナス〉を詠んだ句は、経営不振ゆえの額の少なさであるとか、社内での地位の低さゆえのわびしさに終始しているものが多い。しかし、この明るさ! 日頃の苦労が報われたかのようなはればれとした表情をした人を目にしたのだろう。…この作者の句のあたたかさは貴重である

と賛辞を呈しています。「ボーナス」の句は確かに川柳とのボーダー上の危ういところに位置していると言えますが、俳句に笑いを求めたい気持ちの強い僕にとって、これはこれで非常に惹かれるものを感じるのです。
 今井杏太郎の「こすもすのをはりは草になりにけり」も僕を立ち止まらせた句でしたが、これについて「月評」には、

今までコスモスの終焉を考えたことがなかった。群れて咲くコスモスが風の吹くたびにどう揺らぐか、いや、風とコスモスの取り合わせは嫌になるほど見たから、そこをどう外そうか、とばかり考えていた。しかし、この句を見て驚いた。花も終わり、枯れの時期直前の〈こすもす〉の風情を描くこともなかなか素敵なことだと思った。

とあります。軽い筆致でありながら、コスモスに対する認識を更新させ得るだけの力を持った、魅力的な句ではないでしょうか。
  そのほか、僕がいいと思って挙げておいた「埋火となりて時間の余りをり」(後藤立夫)、「秋逝くと目を細めては森濃くす」(岡本眸)「どんぐりを拾つてをれば胡桃落つ」(橋本美代子)も、「鼎談」の中で取り上げられていました。
 ところで、さきほどの今井杏太郎の作品群をめぐる「鼎談」での三人のやりとりはなかなか読み応えがあります。それについては、次回書きたいと思います。おやすみなさい。

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