2005.12.12

美に挑む

 『夕庭』(文・作庭=丸山健二、撮影=萩原正美)は、見ごたえ、読みごたえのある写真集です。
 先日、丸山健二の『安曇野の白い庭』を読んで、前に図書館でチラッと見たこの写真集をもう一度じっくり読みたくなり、借りてきたのです。丸山健二の審美眼に適った植物だけが絶妙に配置された庭の写真は何度見ても見飽きない、うっとりするほど素晴らしいものですが、収録された文章がまたいいのです。

言葉という、あまりにも精神的に過ぎる、限りなく幻に近い、頼もしくもあり儚くもある、底なしに美しい道具を思う存分駆使して、もつれもつれ、千々に乱れた、奇々怪々たるこの世とわが心の葛藤に哲学的、思想的、芸術的な秩序をせっせと吹き込んでゆくこの珍しい労働は、真剣にやればやるほど、限界に挑めば挑むほど、人間しか到底成し得ない、人間だからこその所為としての面白さに満ち満ちてくる。

 一般大衆にへつらい、安きに流れることの決してない、張り詰めた精神が、庭の写真からも文章からも伝わって来ます。

抑制こそが気品を生み出す母親である。抑制だけが情念の噴火に直結する火道である。だが、抑制の効果を充分に発揮させようとするには、へたをすると浮いてしまうほどの強烈な素材を選択し、そうしたテーマに思わず食指が動いてしまうような熱い血が五体に流れている者でなければならない。かれらのような人間は、数千年にもわたって花の女王の地位に居座りつづけるバラを避けて通るような臆病な真似はしないだろう。危険なことを百も承知で、いや、危険の度合いが増せば増すほど、そっちへぐいぐい引き寄せられて行き、いつ果てるとも知れない果敢な戦いに身を投じるだろう。

 かつて(おそらく大学生の頃)読んだ芥川賞受賞作の『夏の流れ』がどんな作品だったか、今では全く思い出すことができません。その後丸山健二の小説は読んでいないけれど、これをきっかけに彼の最近の作品を読んでみたくなりました。そこにもこの『夕庭』が見せてくれるような、緊張感ある美の世界が広がっているのでしょうか?

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2005.11.18

凄い庭を作る。

 丸山健二が安曇野で庭造りをしていることは、図書館で見かけた写真集で知っていましたが、『安曇野の白い庭』(新潮文庫)を読んでみて、その情熱の傾け方の尋常でないことに驚きました。
 350坪の庭のすべての作業を自分でやってしまうと言うのもすごいことですが、納得のできる「美」の実現のためには、一度植えて育った木でも容赦なく切り倒してしまうという思い切りのよさも、並みの人間の出来る業ではありません。

美の追求とは残酷なものだ。加えるだけではなく、ときには引くこともしなければならない。無用と思った場合には、それ自体かなり貴重なパーツであったとしても、また、曰く因縁のあるものであったとしても、切り捨てなければならない。
 美で重要なことは、あくまでトータルバランスである。全体の流れやトーンを乱す物であることが判明したときには英断を下さなくてはならない。
 従って、子どもの頃からの思い出がいっぱい染みこんだ品々をどうしても棄てられない者は芸術家には適さない。手に入れた物に対する執着心が強い人間もまた然りだ。ところが、なぜかそういうタイプの人間が芸術に関わりたがる。
 女と、女に近い男は、どうもそれが苦手らしい。新しい物をどんどん欲しがるくせに、古いものをいつまでも棄てないで取っておきたがる。それにひしとしがみついて生きようとする。結果として、ごてごてとした、雑然とした、美とは正反対の方向へ際限なく進んでいってしまう。そして、その乱雑さのなかに埋没し、窒息して、本物の美からどんどん遠ざかってゆく。

 捨てることの苦手な僕にとっては、耳の痛い忠告です。捨てられないもののために、何と窮屈な思いをしていることか。理想の実現のためには、切り捨てることを躊躇していてはダメだというのは、もっとものことだと思います。
 それにしても、口絵写真の「白い庭」の魅力的なこと! 実に惚れ惚れとしてしまう美しさです。(庭の真ん中に建つ家もまた庭と調和したすばらしい外観です。)

 「庭の広さは一切関係ない。情熱とセンスさえあれば、僅か一坪にも満たない土地に壮大な幽玄の世界を構築することだってできる」という言葉を励みに、僕ももう少し頑張ってみるか!

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2005.05.24

3年目の開花

 「マイフォト」の中で、今年も咲きそうもないと書いて、葉っぱの写真だけ載せておいたヤマボウシが、なんと一輪だけ咲いているのを見つけました。植えてから3年目にして初めての開花です。たった一輪というのがかえって神の計らいみたいで、感激です。yamaboushi

 さて、僕の持っている俳句歳時記で「ヤマボウシ」を探してみると…

 角川文庫『新版俳句歳時記』…記載なし
 同『現代俳句歳時記』…記載なし
 新潮文庫『新改訂版俳諧歳時記』…記載なし
 河出文庫『新歳時記』…記載なし
 角川書店『ハンディ版入門歳時記』…記載なし

 どうも一般的な小さな歳時記では季語として取り上げていないようですが、植物だけを載せている保育社カラーブックスの『俳句歳時記・植物〈夏〉』には「山法師の花・四照花の花」の見出しで次の句が出ていました。

  四照花流るる霧に且つさだか   和田 暖泡
  山ぼうし谺がこだま生みにけり   和田 冬生

 また、教養文庫『山の俳句歳時記』にはなぜか春の季語として、次の三句が例句として挙げてあります。

  雨あとの月まぶしめり山法師   高木 静子
  山法師雲に失せ切るまでは見ず   村尾 香苗
  僧老いて学寮住ひ山法師   島 世衣子
 

 僕もこの感動を何とか句にしたいと思ってはいるのですが…

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2005.04.13

ホウレンソウのナノハナ

 今年はベランダのホウレンソウがよく育っていたのですが、もう少し大きくなってから収穫しようと思っているうちに、あっという間にアブラムシにやられてしまいました。しかも、急に暖かくなったので、茎も伸びてしまって、そのうち花が咲きそうです。

hourensou

(これは3月19日の写真。このとき収穫してしまえばよかったのに、もっとでっかくしてから食べようと欲を出したのがいけなかった…)

 ところで、榊莫山『自家菜園の愉しみ』の中で、次のように書いています。

ナノハナという植物はないそうだ。アブラナとかダイコンとか、ハクサイ、キャベツとかの花が咲けば、みんなナノハナなのだそうである。そんなこととはつゆ知らず、小学唱歌の“朧月夜”の唄いだしが「ナノハーナ畑に入り日うすれ……」だったので、わたしはアブラナ(ナタネ)の花だけがナノハナかと思っていた。

 念のため、『日本国語大辞典』で「なのはな」をひいてみると、

【菜花】《名》アブラナの花。葉や根の形が異なるカブ、コマツナ、ハクサイなども花がよく似ているため一般には区別されずに呼ばれている。

とあります。以前、うっかりコマツナの花を咲かせてしまったら、それが思いのほかきれいだったので、それ以来わざと何本か残して花を楽しむようにしていました。今年はコマツナは蒔いていないし、こうなったらもう「ホウレンソウのナノハナ」を思いっきり咲かせるしかないですね。

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2005.04.07

「ガーデニング」の敵

engeinohon  前回取り上げた『園芸家12カ月』を読んだのはずいぶん前のことですが、その後、『種蒔く人』(玉村豊男著)、『自家菜園の愉しみ』(榊莫山著)など、面白い園芸関係の本と出会ってきました。そして、つい最近読んだのが、『庭のない園芸家』(平野恵理子著)です。図書館で見つけたのですが、装丁がしゃれていて(さすが、晶文社!)、自分の本棚に並べておきたくなる本です。

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2005.04.03

4月の園芸家

hyuugamizuki 落葉樹が多くて冬のあいだは寂しい我が家の庭(というより、家のまわりの土の部分)も、4月を迎えて急に活気づいてきました。昨年までひょろっとして頼りなかったヒュウガミズキが、今年は枝を充実させて、花をたくさん咲かせてくれました。ミツバツツジのつぼみもふくらんでいて、もうすぐ咲き始めそうです。さらに、アセビ、ハナミズキ、シモツケ…楽しみは続きます。心配なのは、一昨年、昨年とまったく咲かなかったヤマボウシ。植えてから3回目の春を迎えた今年は、何としても白い大きな花を見せて欲しいものです。

  さて、素人園芸家の僕にとっては、これからは忙しい季節です。

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