2006.04.15

たかがテストの点数というけれど…

 桜木建二先生、よくぞ言ってくれました。

>(桜木)「何度も言うが
     センターくらいテクニックで解ける試験はない

     こういうテクニックのみでは
     本当の学力が身につかないと批判されるが…

     んなことは知ったこっちゃない

     本当の学力なんて誰も知るはずないし 知る必要もない

     そんなもん社会が勝手に騒いでいるだけだ

     お前たちはテストでいい点を取る

     それも… 楽して 効率よく…

     それの何が悪い

     勉強なんてテストでいい点取る以外に何にもない

     なんなら「本当の学力」なんていう看板
     俺の前に持ってこいってんだ

 (水野)「どうすんの?

 (桜木)小便ぶっかけてやる

 (水野)あちゃ~ (三田紀房『ドラゴン桜12』より)

 『ドラゴン桜』の中にはいくつもの「名言」が見つかりますが、今度のこのせりふは実に痛快。「新しい学力観」の信者の方たちに、ぜひ読んでいただきたい。テストで点を取るということは、細切れの知識をただむやみに詰め込むことではない。頭の様々な働きを総動員し、時には体も使い、さらには仲間の協力も仰いだりして、初めてテストでの高得点は稼げるはずなのです。(『ドラゴン桜』を読めば、そのことがよーくわかります。)
 たかがテストの点数などと言うなかれ。
 ただ大切なことは、テストでの高得点に価値があるのは、そのテストが良問であることを前提としているということです。桜木が言うように東大の入試問題が大学生に求められる学力を試すのにふさわしい良問であるならば、それを解くためのどんな努力も無駄ではないはずなのです。問題作成者としては、生徒が必要とする能力を測りうる良質の問題を作る義務があるということを肝に銘じておきたいと思います。

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2006.02.08

塾長の言葉について熟考してみる。

 今日、「朝日新聞」の連載コラム「炎の作文塾」で、高校三年生の文章を俎上にのせて次のように言っている一節があるのを見つけて、考えてしまいました。

ものごとを論じ、しかも読ませる文章に仕立てるのは、プロの文章家のすること。天才でもないかぎり、学生や素人はやめたほうがいい。
 文章とは、君にしか書けないことを書くもの。考えたり、思ったりしたことではなく、何をしたのかを書くことだ。(塾長・川村二郎)

 塾長が言うように、「物事を論ずるのが文章だ」というのが「誤解」なのだとしたら、そもそも学生に対して「…について論じなさい」「…についてあなたの考えを述べなさい」などという課題を与えること自体が誤りだということになってしまいます。
 自分にしか書けない自分だけの経験に基づいて書かれたもののほうが文章としての価値が出てくるのはもちろんで、僕も生徒に対しては「自分の具体的経験を踏まえて書くこと」を繰り返し指導しています。それでも高校生の文章はステレオタイプに陥りがちで、読むのが苦痛になることは毎度のことです。しかし、出てくる意見は平凡でも、それを自分なりに文章にまとめてみることは、生徒にとって有意義な経験なのではないでしょうか。
 …などと考えているうちに、今日の新聞が昨日の新聞になってしまいました。

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2006.02.01

達人になりたしと思へども…

 森口朗『授業の復権』(新潮新書)を読みました。
 著者はまず現行の学習指導要領の根底にある「新学力観」を次のように定義します。

「新学力観」とは、知識を増やし理解を深める力を「古い学力」とし、「意欲・態度・関心」=「新しい学力」をより重要と考える教育思想である。

 そして、この「新学力観」によって「「授業」という学校の根幹部分が破壊された」と言い、また、「ゆとり教育」が推進されてきたこの二十数年の間に、「「学力を向上させる授業がよい授業である」という常識が、学校(特に小学校)から消失した」とも述べています。
 著者は、「ゆとり教育」の推進と「新学力観」の提唱がもたらした「学力低下」という問題から学校を蘇生させるためには、学習指導要領の改訂など、「教育行政の大転換が必要」だが、それ以上に教師の授業技術の向上が重要であるとし、そのためのヒントとして、「授業の達人」たちの実践例を紹介しています。ここには、反復練習を中心とした「寺子屋型」の授業や、文部科学省の推奨する「問題解決型」の授業実践の成功例など、さまざまなタイプの実例が挙げられているのですが、著者は、こうした「見習うべきサンプル」をさらに掘り起こし、教師は自身の授業技術を向上させてほしいと締めくくっています。
 これは耳を傾けるべき多くの示唆に富んだ著作だと思います。著者の言うとおり、「学校にとっては授業こそが「魂」」なのです。教師の仕事は授業です。
 しかし、こんな当然過ぎることを忘れてしまいそうになるほど授業以外の雑務に忙殺されているのが今の教師の現実です。
 また、来年度からは高校にも「観点別評価」が導入されようとしており、そうなると「意欲・態度・関心」も数値化しなければなりません。世間ではこれほど学力低下の問題が大きく取り上げられているのに、現場には現行の学習指導要領のさらなる徹底の動きが上から降りてきているのです。
 「観点別評価」に伴って発生する業務は膨大なものになることが確実です。また、そもそも「意欲・態度・関心」は評価できるものなのか、という根本的な問題もあります。
 「授業の復権」への道のりは、相当厳しいと言わざるを得ません。

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